2011年12月31日

始まれば、終わる。

1
 大晦日。渡邉家の男は墓掃除へ行き、女は家で豚汁を作る。

2
 渡邉家では夫婦間に問題が起きた場合、嫁は家に残って、男が追い出されると決まっている。ばあちゃんルール。

3
 帰省するとは、中学のころから通っているラーメン屋、万楽へ行く。俺ルール。

4
 年末年始を実家で過ごすのは、いつ以来だろう。例年はカウントダウンイベントに出演したり、仕事をしたりで、三が日が過ぎるまでは新年もへったくれもなかった。
 今年は早々に「クリスマスも年末も働かねえ」宣言をして、なんとも穏やかに終えようとしている。こういうカレンダー通りの仕事に転職したい(笑)。

 いろいろあった一年とは言うものの、そもそも何もない一年などはなく。個人的には、桜のころに仕事がなかった以外は、特に変わりない一年だった気がする。
 それでも、これまで積み上げてきたものの次に進むのだから、得るものは少なくなかった。芸術の理解、表現のチャレンジ、愛や信仰について、仕事、そして無常の帰納/演繹。
 それぞれは僅かな前進でも、振り返れば塵が積もってできた山がある。変わらないというのは、継続でもあるのだ。

 さてと、シャワーを浴びて目を覚まそうか。そんで、じいちゃんと墓参りに行こう。

 みなさま、よいお年をお迎えください。
posted by 渡邉健太 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

メリークリスマス(2)

 2011年12月25日、午前0時を過ぎたばかり。無性に『13デイズ』を観たくなった。
 キューバ危機の映画だ。とてもクリスマスに観るべき映画とは思えない。それでも俺には必要なことだった。

 何人かクリスチャンの友人がいるが、彼らに「メリークリスマス」と言ったことがない。俺はブッディストで、信仰上の神を持たない。もし俺が口に出せば、意味を違えてしまう。
 彼らの幸福そうな様子が、余計に俺を怖気付かせた。それほどまでに、この日、彼らの笑顔は365日でいちばん輝いているのだ。

 映画の中で大統領特別補佐官をしているケビン・コスナーが、偵察機のパイロットに言う。打ち落とされるなと。
「自分がいい人間で、地上整備員がいい人間なら」とU2のパイロットは答えた。「後は神に委ねるだけ。」
「君は信仰心を?」とコスナー。
「持ってます。」とパイロット。

 様々な偶然や奇跡の結果として、暗黒の土曜日さえ乗り越えて、第三次世界大戦は回避された。

 これまでに何人かの女性と付き合い、善い関係を作ることに苦心してきた。愛することを学ぼうと努力してきた。そして、これほど愛と命が在ることに感謝した夜はなかった。
 俺には神はいない。それでも知り得ない何かに畏敬の念を持ち、感謝せずにはいられなかった。
posted by 渡邉健太 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

タテタ、叫ぶ

 音楽はすげー楽しくて、いいステージを観る度に、俺が演りてえのはこれじゃねえなと思う。
 何かに似ているかもしれない。しかし誰の真似でもない。ロックとは、そういう精神だ。

 湯船で叫ぶ詩人の会を聞きながら歯を磨く。

 俺は彼らに似ているかもしれない。しかし彼らの真似でもない。俺が歌いたいことは、俺だけが詠いたいことだ。

 湯船で歯を磨きながら叫ぶ詩人の会を聴く。

Live Number:72
Kawasaki Serbian X'mas party Night 2011
日時:12月25日(日) 開場:18:00/開演18:30
会場:川崎セルビアンナイト
出演:セルビアンナイト出演アーティストによるカバーライブ

セットリスト:
「道を越えて」(叫ぶ詩人の会)
「魚を食べよう」(同)
「あだなの詩」(同)
posted by 渡邉健太 at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

メリークリスマス(1)

嗚呼、詩にたい
部屋には
切ったばかりのエアコンと
君と交わした圧倒的体温の名残
ひとり粒れる
言葉ではなく
俺は
人間

I want to make poetry
In my room,
It is warm
Cause an air-conditioner
And our body temperature
I'm one piece
I'm not word
I am
A man
posted by 渡邉健太 at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月18日

シンクロンターレ

「あれは、タクミの判断で、悪いとかそういうことではない。」(2003年、石崎信弘監督/現コンサドーレ札幌監督)

 俺にとってフロンターレはこの一言に集約されている。

 ピッチに立つ11人は監督の手足であり、その判断は監督の判断でもある。監督にとって彼らは自分自身であって、それは誰かが悪いとかそういうことではない。
 スタジアムに立つ12人はひとつのチームであり、その判断は自分自身の判断でもある。俺にとって彼らは自分自身であって、それは誰かが悪いとかそういうことではない。

 カウンターを招いたパスミスも、決定機を逃すシュートミスも、選手を鼓舞するに足りない声援も、すべて俺自身のプレーだ。選手は90分間、最後まで走り続ける。どんなに大差で負けていようとも、残り時間が1秒でも、負ける前から負ける訳にはいかないのだ。だから俺は12番を背負って歌い続ける。

 全体には個別の役割がある。組織する役割、走る役割、歌う役割。
 テクニカルエリアに誰が立っていようと、ピッチに誰が立っていようと、Gスポットで誰がコールをしていようと、ゴール裏で誰が大旗を振り上げようと、すべてが移り変わったとしてもフロンターレであることだけは変わらない。そこで俺は歌う。

 フロンターレは俺自身であって、それは誰かが悪いとかそういうことではない。

 すべてが違う試合で、すべてが違うシーズンで、すべてが無常であるこの世界で、ただフロンターレとしてたゆたう。
posted by 渡邉健太 at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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