2012年01月25日

ジャガイモの芽の毒

 こないだTSUTAYAで何借りようか悩んでたら、同じように邦画の棚の前で腕組みしてた女の子が『恋の門』を持って出ていった。(ああ、なんか気が合うかも。)趣味にはそういう無駄な親和性があって、人とひとを繋げたりする。

 吾ながら自分の映画好きには困ったもんで、どうやら去年は100本弱のDVDを借りたらしい。試写会や通常の公演を加えれば、間違いなく三桁。部屋のテレビモニタでは常に何かしらの映画を流している中毒状態だ。
 そしていまも手元に借りてきたDVDがある。『食堂かたつむり』、『アキレスと亀』、『人間の証明』、それから『ソラニン』。
 いつもなら二日もあれば観終わって返しにいくのだけれど、今回はなかなか観られずにいて、もう今日が返却予定日だ。

 『ソラニン』。何度か観返そうと思って、何度も躊躇して、なんとか借りてきて、結局観られずにいる。
 観たら、死にたくなくなるのだ。

 人が死ぬのは当たり前なのに、死ぬのが怖いのも当たり前。俺はこういう矛盾がいちばん怖い。死ぬのが当たり前という理知を、死ぬのが怖いという感情論が上回ることが何より怖い。
 俺は歌が好きで、音楽が好きで、恋人が好きだ。それを諦めるのも、遺して死ぬのも怖い。それを理性でねじ伏せられなくなるのが怖い。
 だから、まだ再生できずにいる。

 別に今日、明日にも死ぬとは限らない。よっぽどのミスフォーチュンがなければ、まだ50年くらいは生きられる。(一昨日、じいちゃんが誕生日で八十三歳になった。)
 だけど命は本当に危ういものだから、

 やめちゃダメだ。例えいい加減でも、惰性でも、好きなことをやめちゃダメだ。ずっと続けていれば、上達するに決まってる。好きがものの上手になるためには、やめちゃダメなんだ。
 飯が食えるかどうかとか、そんな理由でやめちゃダメだ。食えなくなったときに、必要な手立てをすればいい。将来とか、人生とか、そんな空想のために、好きなものを諦めちゃダメだ。
 死ぬことは当たり前で、恐れはねじ伏せて。大事なもののために、平常心(moral)を保って生きるんだ。

 俺は将来とかいう馬鹿な空想のために、音楽やめたことを後悔してんだ。

 観たよ、『ソラニン』。
posted by 渡邉健太 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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