2012年02月13日

UUONDERGROUND 15

 いろんなことに驚いて、あれから随分経った。いまでも驚くことはあるけれど、結局生活は以前と変わりない。何かが変わった気がしても、それはいままでも同じこと。

 ずっと、無常。

 これから俺は、あれ以後の世界に足を踏み出していく。その音が聞こえた。(正確には、音が止んだ。)俺はアンコールの舞台を降りて、歌のない日常を受入れて生きていくんだ。
 地震とか津波ではなく、自分という事件。

 UUONDERGROUND 15 ――驚くべき世界、以後
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2012年02月11日

11ヶ月後

 まつたく死んでしまつた人間の言葉は、とにかく厄介だ。なぜなら彼(或ひは彼女)は、いまこの瞬間を自分の目で見ることなく物言ふのだから。
 今日僕は本屋へ行つた。絵本と詩歌と、それから哲学・思想を少々。ジジェクの名を見て、いつだつたか「9・11」について参照したテキストが、ジジェクとサイードどちらの言葉だつたろうかと迷つたことを思ひ出した。どうして迷つたかと惟へば、たぶんサイードが死んでしまつたからだろう。いや、ただ自分の記憶違ひでしかないのだが。

 どうしたきつかけからか、アイルトン・セナを思ひ出した。タンブレロの壁に激突するFW16をいまでもはつきりと覚へてゐる。それは人の死に際して、僕が初めて涙を流した出来事だつた。次は、ミッテラン。
 サイードのときは、泣かなかつた。彼はセナほど僕の人生に深くコミットしてはゐなかつたのだろう。その所為で記憶違ひしてゐるのだろう。

 悲しくなかつたのではない。その深度が違つただけのことだ。
 それは例へば、何万といふ人が死んだときでさえ、涙が出なかつたことと同じ理由だ。
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2012年02月04日

スノウ・ムーン

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 午後、まだ空の青い時刻。ジェットエンジンの音に顔を上げれば、漂白剤で洗ったかのように真っ白な巨体が滑っていく。まるで空飛ぶクジラだ。(それは子どものころに聞いた悲しいフォークソングではなく、どこか希望に満ちた。)
 クジラが去ると、その向こうには天頂に差しかかった上弦の白い月が見えた。見事に雲ひとつなく、青く染まった視界に溶け残った雪は飛行機と月だけだった。

 君に会いたくなった。

 When I see moon, I think of you.

 今夜、青山は一足早い満月だった。
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2012年01月27日

個別のジャガイモ

 『ソラニン』っていうメタファーを自分の具体に置き換えたとき、やりたいことは千差万別で、それが音楽とは限らない。
 映画を観て自分もバンドやるとか言い出す人もいるだろうけど、みんながみんな素養がある訳じゃないし、みんながみんな宮崎あおいみたいに可愛い訳でもない。

 好きなことで飯が食えたらいいだろうけど、好きなことやるために別の仕事で稼いでも、どっちにせよ好きなことはやめてないんだよな。短歌詠めてりゃ、別に仕事はなんでもいい気がする。俺の場合はね。
 ……っちゅーか、短歌を詠めない仕事ってあんのかね(笑)。もともとそういう生活から出てくるものを詠んでる訳だし。

 ただポピュラーミュージックみたいに、なまじっかお金になる市場がでかいと、そういうチャレンジが選択肢に現われる。だから悩むんだ。そして飯が食えないとかいう理由でやめる羽目になったりもする。飯が食えることと、音楽をやることをイコールにしたいんならそれでいいし、別にやめるほどじゃないと思えばそれでもいい。
 愛じゃ腹はふくれないし、飯で情熱は満たせない。バランスだわな。パッションに気持ちが振り切れて、それでやってダメならやめることになるんだろうな。
 そういう異常なテンションじゃなきゃ挑戦はできないんだろうけど、なんかそれって不器用すぎる。なんかそれって残念だな。

 あれか、俺が不器用だから、器用にやってる人のことが想像付かないだけか(笑)。
posted by 渡邉健太 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月25日

ジャガイモの芽の毒

 こないだTSUTAYAで何借りようか悩んでたら、同じように邦画の棚の前で腕組みしてた女の子が『恋の門』を持って出ていった。(ああ、なんか気が合うかも。)趣味にはそういう無駄な親和性があって、人とひとを繋げたりする。

 吾ながら自分の映画好きには困ったもんで、どうやら去年は100本弱のDVDを借りたらしい。試写会や通常の公演を加えれば、間違いなく三桁。部屋のテレビモニタでは常に何かしらの映画を流している中毒状態だ。
 そしていまも手元に借りてきたDVDがある。『食堂かたつむり』、『アキレスと亀』、『人間の証明』、それから『ソラニン』。
 いつもなら二日もあれば観終わって返しにいくのだけれど、今回はなかなか観られずにいて、もう今日が返却予定日だ。

 『ソラニン』。何度か観返そうと思って、何度も躊躇して、なんとか借りてきて、結局観られずにいる。
 観たら、死にたくなくなるのだ。

 人が死ぬのは当たり前なのに、死ぬのが怖いのも当たり前。俺はこういう矛盾がいちばん怖い。死ぬのが当たり前という理知を、死ぬのが怖いという感情論が上回ることが何より怖い。
 俺は歌が好きで、音楽が好きで、恋人が好きだ。それを諦めるのも、遺して死ぬのも怖い。それを理性でねじ伏せられなくなるのが怖い。
 だから、まだ再生できずにいる。

 別に今日、明日にも死ぬとは限らない。よっぽどのミスフォーチュンがなければ、まだ50年くらいは生きられる。(一昨日、じいちゃんが誕生日で八十三歳になった。)
 だけど命は本当に危ういものだから、

 やめちゃダメだ。例えいい加減でも、惰性でも、好きなことをやめちゃダメだ。ずっと続けていれば、上達するに決まってる。好きがものの上手になるためには、やめちゃダメなんだ。
 飯が食えるかどうかとか、そんな理由でやめちゃダメだ。食えなくなったときに、必要な手立てをすればいい。将来とか、人生とか、そんな空想のために、好きなものを諦めちゃダメだ。
 死ぬことは当たり前で、恐れはねじ伏せて。大事なもののために、平常心(moral)を保って生きるんだ。

 俺は将来とかいう馬鹿な空想のために、音楽やめたことを後悔してんだ。

 観たよ、『ソラニン』。
posted by 渡邉健太 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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